僕が、クライアントの先生とお話しているときこんな風に感じることがあります。
「“今の”この方なら、うまく行くな」
なぜ、このように感じるのかと言うと、その先生の「意志」が感じられるからです。
生徒数を●人にしたいと思います
ネットで「意志」の意味を調べると、つぎのように書かれていました。
物事をなしとげようとする積極的なこころざし(三省堂 大辞林 より)
具体的に、先生方は僕につぎのような意志を示されることがあります。
- 生徒数を●人にしたいと思います
- ~~という講座をはじめます
- 私の本心をブログで書きたいと思います
僕の経験上、上記のように意志が明確なときそれは実現します。
ほぼ実現します(断言します)。
別の表現をすると「決めると、物事が動く」ということでもあります。
ですので、今回のブログで一番お伝えしたいことは「決めると、動く」ということです。
決めるとは、どういうこと?
ただですね、意外と「決める」ことは簡単そうで難しいことがあります。
なぜなら「意志を決める」とは、上記の先生方のように意志を明示したり宣言することだけではないからです。
もちろん「~~までに、生徒数を●人にする!」といったことを掲げるのは大切だと思います。
けれど、実際には望んだ結果が得られないこともあると思うんですね。
こういう場合、僕は望んだ結果が得られない理由をこのように考えています。
「言葉は明確だけれども、その奥にある“意志”が明確ではない」
意志が明確さを見極めるには?
僕は、どなたも意志が明確なときというのは共通点があると感じています。
それは「意志“だけ”がクリアにダイレクトに届く」ということです。
これを、現在の僕の文章力ではうまく表現しきれません。
僕なりに、先生の言葉などから伝わってくる“感覚”があるんですね。
僕は「意志」を、別の言葉で表現すると「~~する」だと考えています。
- 生徒数を●人にする
- ~~という講座をはじめる
- 私の本心をブログで書く
ただただ、それをすることを「決めている」といった感じです。
「決めている“だけ”」とも言えます。
その決意だけがあって、その周りに、余計な雑念がない。
また、意志がはっきりしているからかスッキリとした表情をされています。
さらに“言葉のトーン”なのでしょうか、発する言葉がスキッとしていてキレのよさみたいなものを感じます(決して、早口で言ってるとかではありません)。
とにかく“よどみ”がないんですね。
このような状態、感覚のときに表現している言葉が「意志」です。
意志が明確でないとき
くり返しますが「意志」は必ず実現します。
逆に、意志が明確でないときの言葉に、僕は“よどみ”を感じることがあります。
- 生徒数を●人にする
- ~~という講座をはじめる
- 私の本心をブログで書く
このような気持ちを言葉で表したときに、別の感情が付随していることを感じるんです。
例えば「生徒数を●人にする(内心:でも、本当にできるかな?できなかったらどうしよう?←付随した感情」
「~~という講座をはじめる(内心:でも、本当に集まるかな?自分に本当にできるかしら?)」
「私の本心をブログで書く(内心:でも、クレームとか炎上したらどうしよう? これ書いて、集客できるかな?)」
このような感じです。
意志の願望の違い
付随した感情は、言葉にされなくてもわりと感じ取れたり、伝わってきたりします。
上記のように「~~する」という言葉の前後に、気持ちが付随していることがあるんです。
おそらく、それをすることで何かの成果を期待する気持ちがあると思うんですね。
これは、実は「意志」ではなく「願望」だと僕は思います。
「願望」は、別の表現では「~~したい」です。
そして、誤解を怖れず言いますと「願望」は実現しません。
意志は、シンプル
さて、意志から発する言葉にはその言葉の額面以上のものはありません。
例えば「生徒数を●人にする」という意志は、その人数にすると決めている気持ちがある“だけ”なんです。
もしくは、その人数にするために行動するのを決めている“だけ”とも言えます。
そして、そのときに「人数にできるかな?できなかったら…」といった、不安や心配が伝わってきません。
ただただ、それをすることを「決めている」。
そこに、意識がフォーカスされているので、その後にもたらされる結果には意識が向いていません。
後先は、あんまり考えておられないのかもしれませんね。
もしくは「それをすること」だけが大切であって、その後の結果は“どうでもいい”のかもしれません。
とても、シンプルですよね。
だから、言葉に“よどみ”がないんです。
そしてそれが「意志」であり、結果的には、望んだ状況をもたらします。
意志を妨げるもの
ここまでで「意志」の大切さについてご理解いただけたかと思います。
では、どうして私たちは(もちろん僕もです)ときに「意志の明確化」を妨げられるのでしょう?
それは、僕の経験から“つぎの3つ”が原因になることは多いように感じてます。
- 1.情報が多すぎる
- 2.望む結果までの“プロセス”に固執している
- 3.本当にやりたいことがわからない
わりと、この3つは関連しあっています。
現代は、情報過多です。
ネットで調べれば、教室集客についてもさまざまな方法を目にします。
しかし、そのように情報が多すぎると人は「選ぶ」こと自体を止める傾向があります。
選択肢が多すぎると、人は行動できなくなるんです。
つまり「~~する」が妨げられてしまうんですね。
このような場合は、勇気を出して「情報断捨離」されることをお勧めします。
ディズニーランドに行くには?
また、さまざな情報によって「結果」よりも望む「プロセス」に意識がフォーカスされていることがあります。
例えば「ブログ集客に成功したパン教室」といった事例を目にしたとします。
そうすると「そのやり方じゃないとうまく行かない」と思い込んでしまうことがあります。
または「そのやり方で成功したい」と、思われる方もいらっしゃいます。
しかし、プロセスを限定的にすると現実化の確率は著しく低下します。
例えば、大阪から東京ディズニーランドに行くことを考えてみてください。
行き方って、何通りもありますよね。
- 新幹線で行く
- 夜行バスで行く
- 飛行機で行く
- 電車で行く
- 車で行く etc
そして、ディズニーランドに行って楽しむことが、本来の“望む結果”なはずです。
であれば、その結果に向かって自分に合った方法で向かえばいいと思うんですね。
なのに、こんな風だったらどうでしょう?
- 1.新大阪駅から●時●分発ののぞみの5号車のA5の席に乗って
- 2.●時●分に東京駅に着いて
- 3.●時●分発の京葉線の●号車に乗って
- 4.●時●分に舞浜駅に着いて
- 5.●時●分発のリゾートゲートウェイ・ステーションに乗って
- 6.●時●分にディズニーランドに着く
もし上記のように、行き方(プロセス)に固執にしてしまったら、望む結果にはたどり着けないかもしれません。
なぜなら、この場合の望みは“プロセスどおりに進むこと”だからです。
もし、新幹線が1分でも遅れちゃったら、その時点でアウトです。
なので「意志」を決めたら、そこに向かうまでの“プロセス”はさまざまな”可能性の余白”を残しておいたほうがいいと僕は考えます。
本当の気持ちがわからなくなったら…
そして、このように情報やプロセスに翻弄されてしまい、ご自身が“本当に”やりたいことがわからなくなることがあります。
このような場合には、ご自身の気持ちをとにかく「書き出す」ことをお勧めします。
- 何をしたいの?
- なぜしたいの?
- それをしてどうなりたいの?
- 本当にしたいの?
- 本当になりたいの?
- 心配していることって何?
- その心配は、本当に起こるの? etc
とにかく、自分の思っていることを書き出してみます。
頭の中で考えている時点では、表面的な思考に留まる傾向があります。
でも、紙に書き出して、自分を客観視すると心の奥のほうの気持ちが出てきます。
自分の本当の気持ちは、奥のほうに埋もれていることがあるんです。
そうして見えてくる本当の気持ちが「意志」だったりします。
「決める」と臨時収入!?
最後に「決める」ことで、ホームページの制作費用を手に入れられたクライアントの先生を紹介させてください。
かつて僕に、ホームページ制作をご依頼くださった、二人の先生のお話です。
このお二人は、制作を依頼される時点で費用を一括では支払えなかったそうなんです。
そのため「分割でお願いできませんか?」と相談されたんですね(当時は、システム上分割払いが できませんでした)。
そこで僕は、熱意に押されて、毎月定額をお振込いただく約束でホームページ制作をお請けしました。
そうしたらですね、お二方とも支払い期限から、1,2ヶ月前倒しで全額お支払いくださいました。
お二方とも、ホームページを作ると“決めて”から、売り上げが伸びてったそうなんですね。
ちなみに、この時点ではまだ、ホームページは完成していませんでした。
もちろん、ホームページ完成後はさらに売り上げを伸ばしておられます。
これが、望んだ現実をたぐり寄せる「意志」の力です。
そして「決める」ことの重要性です。
これをご覧の先生は、何を決められますか?
決めると、物事が動きはじめます。
そして「意志」は、どんどん変わります。
ですので、定期的にご自身の「意志」を見直しては、決めることを心がけたいものです。