今回は、皆さんが普段書いていらっしゃるブログの文章や、教室を紹介するための文章、あるいは集客を目的としたランディングページの文章に、AIを使うのは少し待ってほしい、というお話をしたいと思います。
なぜこのような話をしようと思ったのかというと、僕自身の中で、いくつか強く考えさせられる出来事があったからです。
そのきっかけのひとつが、昨年の年末、2025年の大晦日に放送された「探偵ナイトスクープ」という番組でした。
ご存じの方も多いと思いますが、探偵ナイトスクープは、探偵に扮した芸人さんたちが視聴者からの依頼を受け、実際に現場へ行ってその依頼を解決していく長寿番組です。
特に関西にお住まいの方には、馴染み深い番組かもしれません。
その大晦日に放送されていた特番は、2025年の1年間に放送された依頼の中から、いわゆる「傑作選」を集めた内容でした。
その中で紹介されていた、ある依頼が、僕にとって非常に印象的で、考えさせられるものだったのです。
- 「子どものAI依存をやめさせてほしい」という依頼
- 入選した5作品のうち、3作品はAIが作っていた
- AIの作品と人間の作品は、どこが違うのか
- 人間は、伝えたい思いのためにルールを破る
- 歪さがあるからこそ、人間らしさが立ち上がる
- すべての情報を渡しても、心に引っかからなかった
- AI自身に「なぜ心が動かないのか」を聞いてみた
- 人の心が動く文章には「人の気配」がある
- AIには内的葛藤が存在しない
- 整いすぎると、人がそこにいる気配まで消えてしまう
- 人間が書いた文章をAIで整えても、熱が失われる
- 人は文章から、書き手が費やした時間まで感じ取っている
- AIは結果を出せても、そこに至るプロセスを持たない
- 人間は、最初の“ぐちゃっとした原稿”を生み出す
- セールスコピーは、基本的に人間が書いたほうがいい
- AI文章が増えるほど、人間が書いた文章の価値は上がる
- 今まで書き続けてきた先生にとっては、大きなチャンス
「子どものAI依存をやめさせてほしい」という依頼

それは、小学生、もしくは中学生のお子さんを持つお父さんからの依頼でした。
内容は、「子どもがAIに依存しているので、そのAI依存をやめさせてほしい」というものでした。
もう少し詳しく説明すると、そのお父さんのお子さんは、最近、宿題をするために自分の部屋にこもるものの、わずか10分ほどで「終わった」と言って部屋から出てくるようになったそうです。
あまりにも早く終わるので不思議に思って聞いてみたところ、宿題はすべてAIに聞いて答えを出している、ということが分かったそうです。
つまり、AIを使えば簡単に宿題が終わってしまう状態になっていたわけです。
その結果、お父さんに「これ教えて」と質問する機会も減り、親子の会話も少なくなってきたことに、寂しさを感じていたそうです。
それだけでなく、何でもAIに聞いて答えを得る習慣が続くことで、将来的に自分で考える力が育たなくなるのではないか、という強い不安も抱いておられました。
そうした背景から、「子どものAI依存をやめさせてほしい」という依頼を番組に出されたのです。
さらに、そのお父さんが強く引っかかっていた出来事が、もうひとつありました。
それは、お子さんが小学6年生のときに出された、学校の宿題に関することでした。
その宿題は、人権週間に合わせて「人権標語を作りましょう」という内容だったそうです。
娘さんは、その人権標語をAIに作らせ、それを自分の作品として提出しました。
すると、その標語が入選してしまったのです。
AIが作った作品を提出して、それが評価され、入選してしまうことは、本当に良いことなのだろうか。
そうした疑問や違和感も重なり、この依頼に至ったというわけです。
入選した5作品のうち、3作品はAIが作っていた

番組では、その入選した標語が実際に紹介されていました。
全部で5つの作品が紹介され、それぞれ「これが私の作品です」と、実際に書いたとされる子どもたちが前に出て説明していました。
ところが、その5作品のうち、3つはAIが作ったものだと、本人たちが正直に告白したのです。
つまり、半数以上がAIによる作品だったということです。
紹介されていた標語を簡単に見ていくと、1つ目は「優しさの数だけ心に花が咲く」という作品でした。
2つ目も、まったく同じく「優しさの数だけ心に花が咲く」という標語でした。
この時点で、同じ作品が2つあることに、違和感を覚えます。
提出した生徒は別々なのに、漢字も含めて完全に同一の標語だったのです。
3つ目は、「ありがとう ごめんなさいは 自分から」という作品でした。
4つ目は、「見せずに決めないでほしい 人の個性」。
5つ目は、「誰かが何と言おうと 好きな色 好きな服 何でもいい」という作品です。
この5作品のうち、どれがAIによるものか、少し考えてみてほしいと思います。
番組内で明かされた正解は、上から3つ、つまり1番から3番までがAIによる作品でした。
そして、4番と5番が、人間、つまり子ども自身が考えて書いた作品だったのです。
AIの作品と人間の作品は、どこが違うのか

では、どうやって見分けるのか。
よく見ると、いくつかの違いが浮かび上がってきます。
まず、同じ標語が2つ存在しているという点は、明らかに不自然です。
また、小学6年生が、同時期に、まったく同じ言葉遣いと漢字を使って、同一の表現を考える可能性は、かなり低いと感じます。
さらに、「優しさの数だけ心に花が咲く」という表現は、とても美しく整っている一方で、どこか大人びた、優等生的な印象もあります。
小学校6年生の率直な言葉としては、やや完成度が高すぎるとも感じられます。
もうひとつの大きな違いは、リズムです。
AIが作った1番から3番の標語は、いずれも五・七・五のリズム、いわゆる定型にきれいに収まっています。
人権標語には、必ずしも五・七・五でなければならない、というルールはありません。
しかし、過去の入選作品などを学習しているAIは、「選ばれやすい形」として、このリズムを優先的に使ってくるのです。
一方で、4番と5番の作品は、五・七・五のリズムが崩れています。
特に5番は、完全に定型を無視した構成になっています。
番組内で、4番・5番を作った子どもたちは、「自分の伝えたいことをそのまま表現しようとしたら、五・七・五には収まらなかった」と話していました。
人間は、伝えたい思いのためにルールを破る

ここに、人間とAIの決定的な違いがあると、僕は感じました。
人間は、「伝えたい思い」を最優先し、既存のルールを簡単に破ります。
一方でAIは、過去のデータをもとに「最適解」を導き出すため、既存のルールや成功パターンの中でアウトプットを行います。
つまり、AIは「すでにある枠組みの中」での最適化は得意ですが、枠そのものを壊したり、新しい価値観を生み出したりすることはできません。
既存のルールを破り、自分のルールを作り、ゼロから新しい価値を生み出す力。
それこそが、人間が本来持っている、非常に重要で、代替のきかない能力なのだと思います。
こうした点が、この作品群の中から、少しずつ浮かび上がってきたのではないかと感じています。
そして、もう一つ、もしかすると皆さんの中にも同じように感じられた方がいらっしゃるかもしれません。
特に、AIが作った作品というのは、全体として非常に整っていて、きれいにまとまった表現になっていると思います。
ただ、その一方で、どこか「きれいすぎる」と言いますか、整いすぎているがゆえに、印象に残りにくいという側面もあるように感じました。
人間が作った作品と並べて比べると、その違いはより強く感じられるのではないでしょうか。
AIが作った作品は、完成度が高く、破綻もなく、読みやすいのですが、あまりにも整いすぎているため、心に引っかかりを残しにくい。
そういう見方もできるのではないかと、僕は感じました。
歪さがあるからこそ、人間らしさが立ち上がる

それに対して、「誰かが何と言おうと、好きな色、好きな服、何でもいい」という作品は、リズムも少し歪で、整っているとは言い難い部分があります。
しかし、その歪さがあるからこそ、かえって強く印象に残る。
文章から、その人らしさや、人となりのようなものが立ち上がってくる。
そんな人間らしさを感じさせる作品だったように思います。
この番組を見たときに、僕の中で、ある記憶や感覚が呼び起こされました。
それは、教室を紹介する文章や、いわゆるランディングページのセールスコピー、あるいは皆さんが日々書いているブログ記事についてのことです。
これらの文章をAIに書かせると、あまりにもきれいにまとまりすぎてしまい、どこか「血が通っていない」ような、個性に欠ける文章になる。
そんな印象を、僕自身、以前から持っていました。
すべての情報を渡しても、心に引っかからなかった

僕は2011年から、全国の教室の先生方を対象に、主に集客支援の仕事をしてきました。
その一環として、先生方から時間をかけてお話を伺い、教室の紹介文、いわゆるセールスコピーを代わりに書くという仕事を、約15年近く続けてきました。
近年、AIの性能が飛躍的に向上してきたことで、「このセールスコピーの仕事も、AIに任せられるのではないか」と考えるようになりました。
特に昨年1年ほどは、さまざまな試行錯誤を重ねながら、AIにセールスコピーを書かせることに本格的にチャレンジしてきました。
具体的には、先生とのヒアリングをZoomなどで録画し、その内容をすべて文字起こししたものをAIに読み込ませました。
さらに、僕自身がヒアリング中に取った重要なメモや要点をまとめたテキストも、すべてAIに渡しました。
加えて、「この順序で、この構成で、この展開パターンで書いてほしい」という、セールスコピーとして効果が高いとされる構成指示も与えました。
それでもなお、出来上がってくる文章は、なぜか心に引っかからない。
整っていて、理論的で、間違いはないのですが、印象に残らない。
どこか無機質で、素気ない感覚が拭えなかったのです。
そのため、僕自身の中で「AIに文章を書かせるのは、本当に良いことなのだろうか」という疑問が強くなっていきました。
そんなタイミングで、先ほどの探偵ナイトスクープの依頼を見て、AIが作った標語と人間が作った標語を比較する場面に出会いました。
そのとき改めて、「人間が作った文章には、人間が作ったと分かる何かがある」と感じたのです。
そして、その「何か」が、読む人の心に引っかかりを生み、「この教室、なんだか良さそうだな」といった感覚につながるのではないかと思いました。
AI自身に「なぜ心が動かないのか」を聞いてみた

そこで僕は、「AIが作った文章と、人間が作った文章の違いは、いったいどこにあるのだろうか」と考えるようになりました。
あるいは、これは単に僕個人の思い込みなのかもしれない、とも思いました。
そこで、その疑問をAIそのものに投げかけてみることにしたのです。
具体的には、ChatGPTに次のような質問をしました。
「AIにランディングページのセールスコピーを書いてもらうと、構成や理論は完璧なのに、なぜか心が動きません。文章がきれいすぎて、読み手の感情や思いが伝わってこないと感じます。これは私の気のせいでしょうか。それとも、多くの人が同じように感じていることなのでしょうか。」
人の心が動く文章には「人の気配」がある

この質問に対して、ChatGPTから返ってきた回答は、非常に興味深いものでした。
「とても鋭い感覚だと思います。結論から言うと、それは気のせいではありません。言語化できていないだけで、多くの人が同じ違和感を感じ取っています。」
さらにAIは、「その違和感は、AI文章の完成度の高さから生じている、少し皮肉な現象です」と続けました。
「構成は完璧で、セールス理論にも忠実。読みやすく論理的。しかし、人の気配がしない。人の心が動く文章には、非言語的な要素が含まれています。人は文章を読むとき、意味以外の情報も大量に読み取っています。
例えば、書き手がどこで迷ったのか。
どこで言葉に詰まったのか。
なぜその表現を選んだのかという痕跡。
書き手自身が、まだ自分を説得しきれていない感じ。
書いていて、少し恥ずかしそうにしている気配。
これらは、セールスコピーの教科書には載りませんが、人の感情には強く作用します。
そして、それらこそが『人が書いた文章』である証拠なのです」
と、AIは説明していました。
これは本当に驚くべき指摘だと思いました。
人は文章を読みながら、その裏側にある書き手の迷いや葛藤、感情の揺れまで感じ取っているのです。
つまり、人は文字情報だけでなく、その奥にある「雰囲気」や「気配」までも読み取っているということです。
AIには内的葛藤が存在しない
さらにAIは、次のようにも言っていました。
「AIの文章がきれいすぎる理由は、AIが本質的に迷わず、恥をかかず、書きながら考えを変えず、自分を説得する必要がないからです。
つまり、AIには内的葛藤が存在しないのです。
一方、人間は文章を書きながら、『これでいいのだろうか』『こんなことを書いてどう思われるだろうか』と迷います。
書いている途中で考えが変わったり、恥ずかしさを感じたり、書き終えたときにようやく自分自身が腑に落ちる、という経験をします。
これらすべてが、内的葛藤です。
そして、その内的葛藤こそが、文章に人間らしさと温度を与えているのだと、僕は強く納得しました。
人は文章を書きながら、『これでいいのか』『ちゃんと伝わるのか』『大丈夫だろうか』と葛藤しつつ言葉を選んでいるわけですが、AIはそもそも内的葛藤を持たない。
その結果、感情の揺れが消える。
表現の歪みが消える。
必然的に、文章が“均(なら)される”。
これは、ノイズが除去されすぎた音楽や、補正されすぎた顔写真に近い感覚です。」
整いすぎると、人がそこにいる気配まで消えてしまう

この例えは、とても分かりやすいですよね。
たとえば最近、アプリで自撮り写真を補正する機能がありますが、補正が行き過ぎると現物との差が出すぎて、「さすがにこれは不自然だよな」と違和感を覚えることがあります。
AIが作った映像や画像も、あまりにも整いすぎていて、「現実にはこんな人いないよね」と感じるようなことがあると思います。
音楽も同じで、たとえば自動演奏機能付きのピアノでクラシックを演奏すると、ミスがなく、非常にクリーンで美しい音楽になります。
けれども、人が同じメロディーを弾いたときに伝わってくるものとは、やはり何かが違う。
これは、機械が“ノイズ”を徹底的に除去した結果、「人が弾いている」という気配や温度まで、丸ごと削ぎ落とされてしまうからだと思うんですね。
文章に戻すと、AIは技術的にはレベルが高く、美しい文章を仕上げてくれます。
しかし、人間の感情としては反応しづらくなってしまう。
そういう現象が起こる、ということなんですよね。
人間が書いた文章をAIで整えても、熱が失われる

さらに僕が感じていたのは、「リライトでも同じことが起こる」という点です。
つまり、もともとは人間が書いた文章を、AIに「ブラッシュアップしてください」と指示して整えてもらうと、出来上がった文章はきれいなのに、やはり心が動きにくい。
この点についても、AIは次のように説明していました。
「なぜリライトでも同じことが起こるのか。
元々人間が書いた文章をリライトしても同じ違和感が出るのは、AIが元の文章に含まれていた“迷い”“未整理な感情”、“書き手の自己説得プロセス”を、改善すべきノイズとして除去してしまうからです。
要するに、文章表現の奥にある葛藤や感情の揺れを、AIは『削るべきもの』と判断して取り除いてしまうんですね。
つまりAIは、人間らしさを『未完成』や『曖昧さ』と解釈して、善意で消してしまう」
もちろん悪気があるわけではありません。
その結果、意味は同じなのに“熱”がなくなる。
そして次に、こうした違和感を多くの人が感じているのに、言葉にしづらい理由についても触れていました。
「きれいな文章だから一見すると良さそうに見える。でも、人間が書いた文章に比べると、なぜか伝わってくるものが薄い。
その感覚を、多くの人は『うまく言語化できないまま、ただ感じている』状態になりやすいんですね。
なぜなら、その違和感は文法や論理、語彙のレベルでは説明しにくいからです。
問題は『文章が正しいかどうか』ではなく、『そこに誰かがいたかどうか』だからです。
文章が整っているかどうかよりも、『人がそこに存在している気配』が抜け落ちている。そして人は、その欠落をどこかで感じ取っている。」
人は文章から、書き手が費やした時間まで感じ取っている
AIはさらにこう言っていました。
「人は文章から、書いた人の時間、書いた人の迷走、書いた人の必死さを感じ取ります。
しかしAI文章には時間の痕跡がない。
だから多くの人は『なんか薄い』『うまいけど響かない』『読んだ気がしない』としか言えない。
でもそれは非常に正確な感覚です。」
改めて、すごいことだと思います。
人間は文字情報の奥にある、書き手の葛藤や手間暇、必死さといったものまで、文章から感じ取っているということです。
そう考えると、「やっぱりAIに文章を書かせるべきではないのか」と思ってしまいますよね。
では、これはAIの限界なのか。
この点についてAIは、こう答えていました。
「正確に言うとAIの限界というより、人の心が動く仕組みが、まだ言語モデルと噛み合っていない状態です。」
つまり、今後AIがさらに進化すれば、今日僕が話しているような課題が解決され、より人の心を動かす文章を書く可能性もある、ということですね。
AIは結果を出せても、そこに至るプロセスを持たない

ただ現時点では、人の心は「完成度」「正しさ」「最適化」よりも、「そこに至るまでの歪んだプロセス」に反応します。
そして今のAIは、プロセスを持たずに結果だけを出す存在です。
だからこそ、あの“気配”が乗りにくい。
この点を、AIがかなり正直に教えてくれた、ということだと思います。
そして実務的な結論として、僕の感覚を前提にすると、現時点での最適解はこうなる、とAIは整理していました。
AIに向いている役割は、文章の構成設計です。
たとえば起承転結のような、読み手が没入しやすい流れを設計する。
あるいは論点整理をする。
「自分が言いたいことは結局こういうことだよね」と整理してもらう。
また、表現のバリエーションを出してもらう。
「この言い回し、他に良い表現ないかな」と相談する。
さらに、抜け漏れチェックや誤字脱字のチェックなどもAIは得意です。
人間は、最初の“ぐちゃっとした原稿”を生み出す

一方で、人間がやるべきなのは、最初の“ぐちゃっとした原稿”を生み出すことです。
自分を説得しながら書く、という工程を省略しないことです。
そして書いていて違和感が残る部分を、あえて残すという判断を持つことです。
つまり、「人が書いている痕跡」を残すために、あえて整えない勇気を持つ。
これは人間にしかできない、ということですね。
「人が迷いながら書いた原稿を、AIで整えすぎないことが重要です。」
そういう指摘でした。
最後にまとめとして、AIはこう結論づけていました。
「あなたが感じた違和感は気のせいではありません。
しかも多くの人が同じ違和感を感じています。
その正体は、AI文章には“書き手がそこにいなかった”ことです。」
つまり、人の気配がない、ということです。
この話を踏まえると、現時点では、教室の特徴や、通うことで得られるベネフィット(得になること)などを踏まえたセールスコピーやランディングページを作るとき、文章は基本的に人間が書いたほうが、読み手の心を動かしやすいと僕は思います。
セールスコピーは、基本的に人間が書いたほうがいい

AIに指示を出せば、それっぽいセールスコピーは書けます。
しかし「反応が取れるかどうか」は、また別の話になってきます。
また、効果的な構成や文章パターンが存在するのは確かです。
ただ、それも「人が書いた痕跡」や「人の気配」が文章に乗っているからこそ、活きてくる。
その上で構成が整っていると、さらに効果が高まる、ということだと思うんですよね。
そして、こうした“住み分け”は、まだ僕たち人間が完全に理解し切れている段階ではないのかもしれません。
どこまでをAIに任せ、どこからは人間がやるべきなのか。
この線引きは、これから徐々にはっきりしてくると思います。
ただ一つ言えるのは、これからAIを使って文章を作る人は、今後ますます増えていく、ということです。
現時点でも、僕が日常的にウェブサイトを見ていると、「これ、もしかしてAIが作ったのでは」と感じるページに出会う機会が増えてきました。
AIを使うと、時短になりますし、タイパが良い。
だから頼りたくなるのは自然です。
AI文章が増えるほど、人間が書いた文章の価値は上がる

しかし、AIが作った文章が世の中に溢れれば溢れるほど、相対的に「手打ち」「手書き」の、人の気配がこもった文章が際立つようになるはずです。
今はまだ、人間が時間をかけて書く文章のほうが多いかもしれません。
けれども今後は、AIに任せるケースがどんどん増えていくでしょう。
そうなると、手間をかけて人間が書いた文章は相対的に希少になり、そのぶん価値が上がっていく。
結果として、「人が書いた気配」を感じさせる文章ほど、より強く際立ってくると思うんです。
先ほどのAIの回答にもあったように、人間が書いた文章のほうが、なぜか人の心に引っかかる。
人の心を動かしやすい。
そういう傾向があるからこそ、むしろこれからこそ、教室のこと、教室への思い、生徒さんへの思いといったものは、先生ご自身の手で書くべきだと思います。
あるいは、それを的確に表現できるプロの力を借りるのも良いと思います。
いずれにしても「人間が生み出す」ほうが、反応は得やすいはずです。
今まで書き続けてきた先生にとっては、大きなチャンス

もっと言えば、今までAIがなかった時代でも、僕たちは当たり前のように自分の考えを書き、自分の言葉で発信してきたわけですよね。
それを当たり前のように続けてこられた方は、これからますますチャンスだと思います。
なぜなら、同じように書いていても、今まで以上に「この人の文章は、人の気配がする」と評価されやすくなるからです。
「この人の雰囲気が、文章から伝わってくる」
そう感じてもらいやすい時代になると思うんですね。
だからこそ、これまで手間暇を惜しまず発信してこられた先生方は、これからもそのまま続けていかれたら良いのではないかと思います。
もちろん、表現のアイデアが欲しいとき、別の言い回しの候補が欲しいときなどに、AIを活用するのは大いにアリです。
ただ、丸投げしてしまうと、文章はきれいでも「引っかからない」ということが起きやすい。
そこはぜひ意識していただきたいと思います。
これをご覧の先生方は、これからさらに活躍していけるチャンスが大きいと思います。
だからこそ、これからも引き続き、ご自身の思いを、手間をかけて発信していっていただきたいと思います。
ということで今日は、ある番組で感じたことをきっかけに、「AIに文章を作らせるのは、ちょっと待ってください」というお話をいたしました。





